古代安倍一族に関係する古墳か


東北随一の数を誇る円墳郡


幻の霊感寺を関場鏡から探る

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韮神山の地名を考える
蔵王町十郎田遺跡                       

宮城県遺跡地図より


2008年10月19日現地説明会パネルより

2008年10月18日の河北新報によると
宮城県蔵王町小村崎の十郎田(じゅうろうた)遺跡を発掘調査している同町教委は17日、7世紀後半とみられる大規模な囲郭(いかく)集落跡が見つかったと発表した。同様の集落跡は県内では仙台平野以北に多く、県南で確認されたのは初めて。

囲郭集落は塀に囲まれた住居の集まり。見つかったのは主に、東西が366メートル、南北は142メートルに達する材木塀跡と、13軒以上の竪穴住居群跡で構成される。

 材木塀は幅40センチ、深さ60センチの溝に直径15センチ程度の材木を並べていたとみられる。横長の囲郭の東部に、正方形の小さい囲郭が張り出す形状だった。

多賀城創建前に陸奥国府が置かれていた郡山遺跡(仙台市)では、T期官衙(かんが=役所)が7世紀の半ばに造営されている。県内では大和町や大崎市などで、律令(りつりょう)国家が関与した7世紀後半の囲郭集落跡が見つかっている。


2008年10月19日現地説明会パネルより


現地説明会パンフレットより

また十郎田遺跡より南に約1キロ以内に都・新城遺跡との関係にも注目される

河北新報の記事によると
十郎田遺跡から1キロ以内に位置する都、新城の両遺跡では5年前、官衙の可能性がある区画施設跡などを町教委が確認している。

 十郎田遺跡からは、少数だが関東系の土師(はじ)器も出土した。町教委は「官衙造営に当たった関東からの移住者と地元の人が居住した集落だったのではないか」とみている。

都遺跡から出土していた布目瓦


続日本紀にろると721年に柴田郡を分けて刈田郡をおくとあります。
当遺跡郡が7世紀中旬〜後半とすると柴田郡の官衙遺跡ということになります。

「柴田郡衙」の可能性も考えられます。(大河原町・柴田町・村田町にも諸説あります)

また769年 柴田郡の人 外正六位上 丈部嶋足には安倍の柴田臣を賜姓すとあります。
氏は柴田郡権大領だったことが続日本紀から読み取れます。

これから推測できることは、安倍柴田臣嶋足は、当時(以前も含む)の当地のナンバーワンの豪族であったと言う事でしょう。